李明博その後


 8月29日現在、韓国の朴槿恵(パク・クネ)政権は発足後初めて慰安婦問題の解決に向けた協議実施の外交文書を日本政府に送付することを検討していると人民日報は伝えている。
韓国は過去2度(2012年9/15、11/15)慰安婦問題解決に向けた協議開催を日本政府に要求している。
 事の発端は2011年8月30日、韓国憲法裁判所が元慰安婦の賠償請求権に関して韓国政府が日本に対して積極的に要求しないのは違憲であると判決を下したことである。
さらに韓国のマスコミや市民団体も行動を激化させている。
在韓日本大使館前には慰安婦像なるものが建てられ、2010年頃から在米韓国人などの働きでニュージャージー州、ニューヨーク州、カリフォルニア州などでも像や碑が建てられている。同様の碑は千葉県や沖縄県でも確認され、日韓関係が冷え込む要因の一つになっている。
2015年には日韓は国交正常化50周年を迎えるが、日本と韓国の間に存在するこの問題の解決こそが急務と考えられる。
そこでその解決方法について考察する。


吉田清治と金学順




 問題が発生したのは1983年だ。日本共産党員の吉田清治という元陸軍兵士が「私の戦争犯罪」という本を出版した。
済州島で慰安婦狩りを行って多数の女性を戦場に拉致したと語った内容であった。
内容の場所、日時等の記述が曖昧だったため済州島の地元紙、済州新聞の女性記者である許栄善と韓国郷土史研究家の金奉玉が調査したところ、本に記されている村は無く、日本軍が済州島に来た事実さえもなかった。
吉田氏以外に同様の証言をした人がいなかったため、歴史学者の秦郁彦氏などが調査した結果、吉田氏は1996年にフィクションであることを認めた。
 政治家、軍人、犯罪者などが自分の過去の行為に関して名誉や注目を浴びたいなどの理由で誇張して発言することはよくあることである。
通常、著者本人が作り話であると認めた以上、これで終わりである。




 しかし、吉田の話が韓国のメディアに取り上げられたことから1990年から韓国内で挺身隊問題対策協議会など対日補償要求組織が出来ていった。
慰安婦に関して日本に賠償を求める組織である。これに日本国内の人権派の弁護士が乗っかってきたのである。
 弁護士らが日本政府に対する訴訟を起こそうと原告を募集したところ、そこに名乗り出たのが金学順(キム・ハクスン)であった。
まさに衝撃的であった。朝鮮半島では1943年から女子勤労挺身の募集が始まり、これに応じると慰安婦にされるという噂が当時あったが、
事実無根の噂であった。噂の上の存在であった人間が名乗り出たことで日本、韓国内は衝撃を受けた。




 金学順(キム・ハクスン)は「親に売られて売春婦になり、義父に連れられて日本軍の慰安所に行った」と証言し、
軍票(軍の通貨)で支払われた給料が終戦後に無価値になったため、日本政府に対してその損害賠償を求めた。
注目したいのは金本人が「親に売られて売春婦になった」と自分で発言していることだ。
 当時NHK記者の池田信夫氏は強制連行の実態を取材しようと2班に分かれて韓国ロケを行った。
現地で賠償運動をしている韓国人に案内してもらって男女50人ほどに取材したが、1人も「軍に引っ張られた」や「強制的に働かされた」などという人はいなかったと証言している。
 当時の朝鮮半島は日本の植民地だったが日本本土に比べて賃金は半分ほどで貧しかったため日本に出稼ぎに行く人が多かった。
そこに朝鮮人の斡旋屋が炭鉱などの職を斡旋して手数料を稼いでいた。労働者は軍の機関で運ばれ、慰安婦や慰安所等の管理は軍が行っていた。
斡旋屋に騙されたり、慰安所から抜け出せない例も多かったが、監禁したのは業者である。軍も違法業者を取り締まる形では関与している。
これらの事は当時合法だった公娼制度の中での話に過ぎない。
当時このように境遇に置かれた女性には同情する。しかし残酷ではあるが商業行為の一部であり、国家に責任はない。

画像左/(1939年8月31日)悪徳職業斡旋業者に騙された女性の数が釜山だけで100人を超えたという記事

画像右/(1933年6月30日東亜日報)朝鮮人女性を拉致し中国に売っていた朝鮮女性人身売買組織を日本政府が検挙したという記事



金学順が出てきた時、朝日新聞の植村隆記者が「戦場に連行され、日本軍相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦の内、一人がソウル市内に存在していることが分かった」と報じた。
続いて朝日新聞は1992年に「慰安所 軍関与示す資料」という見出しで報じた。慰安所の管理に関する通達の説明として「女子挺身隊として軍に強制連行された」と書いたため、その直後の1992年1月韓国を訪れた宮沢喜一首相は事実関係を調査することなく韓国の盧泰愚大統領に会談の中で8回謝罪した。これが現在につながる韓国の反日要求の始まりである。

しかしこの慰安所の管理に関する通達の内容は業者に対し慰安婦を強制的に連行しないように命令したものであった。
確かに慰安所に軍は関与していたが悪質業者の取り締まりに関して関与していたのである。
朝日新聞はそこを軍に強制連行されたと報じたのだ。
軍が慰安婦を拉致した事実はなく、そういう証拠もなく、韓国国内にも証言者はいなかった。朝日新聞の事実無根の報道により政府間の問題に発展した。

朝日新聞の報道は誤報ではない。意図的な捏造である
91年本名で名乗り出た金学順、他2名の元慰安婦そして当時の太平洋戦争犠牲者遺族会理事長である梁順任らを原告とする戦後補償裁判が始まった。訪日した原告が日本各地で講演やデモを行い朝日新聞などのマスコミは大きく取り上げた。そんな中、宮沢総理は訪韓したのである。
しかし原告となる金学順ら元慰安婦は公権力による連行ではなく貧困による身売りで慰安婦になったと主張している。
91年韓国内紙のハンギョレ新聞は金学順の経歴について、
<生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあるキーセンの検番(いわゆる置屋)に売られていった。3年間の検番生活を終えた金さんが最初の就職だと思って、検番の養父に連れられて行ったところが、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった>と報じている
朝鮮日報も91年<「1940年春、日中戦争が最も激しかった中国中部地方の鉄壁陣という所にわけもわからなくて売られていきました。中国人が戦争のために捨てて行った民家を慰安所として整備していたのです」金が到着した場所ではミヤコ、サダコと呼ばれる17〜21歳の韓国人女性3人が日本軍を相手にすでに売春行為をしていた>と報じている。
他の元慰安婦である原告も同様の証言をしている。
ところが朝日新聞は慰安婦の説明として<1930年代朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した>などとキャンペーンを行った。
この朝日新聞の慰安婦記事を熱心に書いていたのが、植村隆記者である。
植村記者は元慰安婦が名乗り出たというスクープを書いた人物であるが、実は植村記者は原告である太平洋戦争遺族会の理事会長である梁順任氏の娘と結婚している。
原告側に家族がいたのである。だからスクープができたと考えてもいい
植村記者は先述した韓国紙であるハンギョレ新聞、朝鮮日報に記述されている<キーセン(朝鮮半島の娼婦)の検番に売られていった>や<売られていきました>の
部分を意図的に削除し朝日新聞に掲載した。
植村記者は家族が行う裁判を有利に進めるため、朝日新聞を使って意図的に事実を歪曲するキャンペーンを行ったのである



日本政府は1992年に「旧日本軍が慰安所の運営などに直接関与していたが、強制連行の裏づけとなる資料は見つからなかった」とする調査結果を発表したが、韓国の批判が収まらなかったため、1993年に河野洋平官房長官が談話を発表した。いわゆる河野談話である。
この談話の一部にはこうある。

慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

この談話の中に「官憲等が直接これに加担した」という言葉を入れたことが問題の原因になった。
この問題については2007年安倍内閣の答弁書で「調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」と閣議決定されている。
つまり政府としては強制連行は事実に反すると言うのが公式見解である。

河野氏によると河野談話の中の問題の点「官憲等が直接これに加担したこともあった」の「したこともあった」の部分は朝鮮半島ではなくインドネシアのスマラン事件という軍紀違反事件のことであるらしい。この事件に関しては責任者は処罰されている。
ところが河野談話にはこのことを明記しなかったため朝鮮半島でのことであると解釈される結果となった。
なぜこのような誤解を与える表現にしたのか?その原因を当時の官房副長官である石原信雄氏は産経新聞の取材に次のように明かしている。

当時、韓国側は談話に慰安婦募集の強制性を盛り込むように執拗に働きかける一方、「慰安婦の名誉の問題であり、個人補償は要求しない」と非公式に打診してきた。日本側は強制性を認めれば、韓国側も矛を収めるのではないかとの期待感を抱き、強制性を認めることを談話の発表前に韓国側に伝えた。

強制を示す証拠は出てないのに、そのような事実があったかのような曖昧な表現をとることで、外務省は韓国政府と政治決着しようとしたが、結果的にはこれが「日本は強制を認めた」と受け取られ、韓国メディアから国連人権委員会に飛び火した。
政府は財団法人・アジア女性基金を設立して元慰安婦に13億円を渡し、歴代首相がお詫びの手紙を送った。
このような政府の態度が世界に誤解を定着させ、慰安婦問題が拡大する原因を作った

日本軍が組織的に国営売春を行って女性を連行、監禁したとすれば日本政府には道徳的な問題が生ずるが、元慰安婦と自称する女性の二転三転する身の上話以外に証拠がないのである。
韓国国内にも証拠は存在しない。連行した兵士もいなければ数万という女性を拉致したといわれる目撃者もいない。
ソウル大学の韓国史学者である安乗直教授が慰安婦として名乗り出ていた40名余りの人たちに本格的な聞き取り調査を行ったが、安乗直氏は調査の結果の中に「証言者の陳述が理論的に前と後ろが合わない場面が珍しくなかった」と書いている。「このような点は、すでに50年近く前の事であって記憶の錯誤から来ることもありうるし、証言したくないことを省略したり適当にまぜこぜにしたりすることから来ることもありうる」としながらも、
「この中で調査者たちをたいへん困惑させたのは、証言者たちは意図的に事実を歪曲してると感じられるケースだ」とある
48人を対象にしていたが、資料にまとめることが出来たのは、19人で半分以上ははじかれたのである。しかも、その中で強制性があったと主張したのは4人で、1人は釜山、1人は富山で強制されたといってるが、戦闘地域以外に軍の慰安所は存在しないのでこの証言はおかしいことがわかる。残りの2人のうち1人は金学順さんだが、日本政府を訴えた時は「母親によって売られた」と言っているにもかかわらず、のちに過去の証言と違う事と言っているのである。
安教授が行った聞き取り調査の結果は韓国外務省から日本に渡された。
韓国が提出した証言でさえもこのようなものでしかないのである。
たとえ「民間業者によ人身売買も強制連行である」と拡大解釈してしても日本軍に責任はない
正に日本政府が責任の所在を明確にしないまま河野談話を発表したのは取り返しのつかない失敗である。


ここで当時の慰安婦の給料と募集方法について触れておく
元慰安婦の文玉珠は、1992年に慰安婦時代の2年半で貯めた郵便貯金2万6千145円の返還請求訴訟を日本に対して行った。
裁判で明らかになったのは貯めた貯金から5000円を実家に送っていたということだ
郵便貯金の26145円は裁判で確認されたが、日韓基本条約に基づいて敗訴になっている。
この貯金額には驚きである。
場所にもよるが、ビルマでの調査によると慰安婦1人での月の稼ぎは1か月で300円〜1500円
そしてここから業者の取り分は50%〜60%つまり給料としては月収150円〜750円程を得ていたことになる。
単純計算でも年間1800円〜9000円になる
当時の日本人の警察官の初任給が45円、そして日本国の軍人の給料は、
大将が年額6,600円  大佐が年額5,000円  二等兵は年額72円である。
当時の貨幣価値を分かりやすく変換すると、1939年当時の100円は今では45万3547円、1942年では34万7751円となる
慰安婦の給与の平均が年間5400円とすると1931万8554円になる。
さらに3万円の貯金は約1億3600万円である。
一般兵の給料が月額50円以下の時代に2万6000円の貯金を持ち歩いていたのである。
この給与に貧困の時代である。強制的に連行する必要があるのかは一目瞭然である。
この細かな給与体系について日本政府が主張しないのは問題だ





今現在の日本、韓国国内の資料、情報ではではどうやっても強制性は無いというしかない
しかし広い中国戦線にはたくさんの朝鮮出身慰安婦の人々がいたはずだ
その中に強制的に慰安所で働かされた人が1人もいなかったと言えるだろうか?
万に一の可能性はあるはずである。
そこで次の章ではその万に一の可能性があった場合、日本国の責任について考える。


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